
入居者からの「騒音・害虫」苦情に対し、貸主(管理会社を含む)がどこまで対応すべきか——本件は、貸主の対応が「合理的範囲」で尽くされていれば、直ちに債務不履行責任は問えないと判断した注目事例です。
事案の概要
入居者(原告)は、集合住宅で発生する隣室等の騒音や害虫問題について、貸主が適切に対処しなかったと主張し、賃貸借契約上の使用収益義務違反(債務不履行)を理由に、賃料相当額の損害や慰謝料の支払を求めました。これに対し貸主は、入居者への注意喚起、全戸への文書配布、建物内巡回、害虫対策(殺虫剤配布等)といった措置を講じたと反論しました。
第一審は原告の請求を棄却。原告は不服として控訴しましたが、控訴審でも、貸主の対応は合理的範囲で尽くされているとして原告の請求は退けられました。
判決の要旨
- 貸主の対応義務の範囲:貸主は賃借人に目的物を通常通り使用収益させる義務を負うが、入居者間の騒音・害虫苦情に対しては、合理的・相当な範囲での対応義務にとどまる。
- 本件で認定された具体的対応:対象入居者への複数回の注意喚起、全入居者への清掃・衛生管理の周知、従業員巡回、害虫駆除剤の配布などが認められ、結果として問題を可能な限り解消しようと努めたと評価された。
- 義務違反の否定:上記対応を踏まえると、これを超える措置まで貸主に直ちに義務付けることはできず、使用収益義務違反(債務不履行)には当たらない。
- 「対応拒絶」主張の退け:貸主が送付した文書は、直接の制止権限がない旨の説明にすぎず、一切対応しない意思表示とは評価できない。
位置づけと実務上のポイント
1. 判断枠組みの確認
本判決は、貸主の結果責任を否定しつつ、合理的範囲の対応義務を肯定する実務的バランスを示します。苦情の内容・頻度・時間帯、建物構造、管理ルールの有無、講じた措置の記録と継続性が総合評価の鍵です。
2. 立証の要点(入居者側)
- 騒音・害虫の客観的記録(日時、継続性、録音・測定値、写真等)
- 貸主対応の不十分性を具体的に示す資料(再三の申入れ・未実施措置)
- 受忍限度を超える被害(睡眠妨害、業務阻害等)の具体的立証
3. リスク管理(貸主・管理会社側)
- 注意喚起・張り紙・全戸周知・巡回・専門業者手配等の対応ログ化
- 管理規約・入居ルール・苦情対応フローの整備と周知
- 原因不明時の段階的対処(調査→周知→改善要請→専門対応)と、限界の説明
なお、近接事例として、隣室騒音が受忍限度を超えないとして賃借人の請求が否定された地裁判例もある一方、事案によっては賃料減額・差止が認められた例もあり、被害の程度と対応の相当性が帰趨を分けます。
まとめ
本件は、入居者間トラブルにおける貸主の対応義務の限界を具体的事実関係で示した事例です。貸主側に一定の措置が積み重ねられている場合、直ちに債務不履行は成立しないとの整理は、管理実務の指針になります。他方で、入居者側が被害を訴える際は、受忍限度超過と対応不十分を客観的に裏づける記録が不可欠です。
用語紹介
- 使用収益義務
- 賃貸人が賃借人に目的物を通常どおり使用・収益できる状態を提供・維持する契約上の義務。
- 債務不履行
- 契約上の義務を履行しないこと。履行遅滞・不完全履行などが含まれる。
- 受忍限度
- 社会生活上、一般に忍容すべき被害の範囲。騒音等の不快被害でよく用いられる判断基準。
- 差止請求
- 現在または将来の権利侵害の停止・回避を求める請求。損害賠償とは別の救済手段。
- 管理規約・使用細則
- 建物の管理・使用に関するルール。周知と一貫運用が紛争予防に資する。