
本件は、賃貸住宅の退去時における原状回復費用の負担をめぐり、借主が敷金の全額返還を求めた事案です。裁判所は、借主の通常使用による損耗や経年劣化は貸主の負担とし、故意・過失による損傷のみを借主の負担と判断しました。この判断は、後に国土交通省の「原状回復ガイドライン」にも影響を与えた重要な判例です。
事案の概要
借主が退去時に敷金の返還を求めたところ、貸主が「クロスの張替え」「床補修」「清掃費用」などの原状回復費用を差し引いた金額のみを返還しました。借主は「通常の使用に伴う汚れや摩耗まで請求された」として、敷金全額の返還を求めました。
貸主は、原状回復費用は契約上当然の義務であると主張し、借主の使用による劣化全般を借主負担とする立場をとりました。
判決の要旨
- 原状回復義務の範囲:「原状回復」とは、入居時の状態に戻すことを意味するものではなく、借主の故意・過失・通常を超える使用による損耗等を回復する義務を指す。
- 通常損耗・経年劣化:通常の使用で生じるクロスの変色、床の摩耗、設備の劣化等は貸主の負担とするのが相当。
- 契約特約の有効性:「原状回復費用は全て借主負担とする」との特約があっても、消費者契約法10条に反し無効とされる場合がある。
- 結論:貸主が控除した清掃・補修費の大部分については違法な差引きとされ、敷金の返還を命じた。
位置づけと実務上のポイント
1. 原状回復の正しい理解
本判決は、「原状回復」を入居時の完全な状態に戻す義務とはせず、借主の故意・過失・不適切使用による損耗に限定しました。この考え方は、国交省のガイドラインにも採用されています。
2. 貸主・管理会社側の実務留意点
- 入居前後の写真・チェックリストによる現況記録を残す。
- 契約書に「負担区分」を明確化し、不当条項を避ける。
- ハウスクリーニング費用を請求する場合は、特約条項などの合理的根拠を示す。
3. 借主側の視点
通常使用による汚損・経年劣化は借主の責任ではありません。敷金精算の際は、見積書やガイドラインを確認し、過大請求がないか慎重に判断することが重要です。
まとめ
東京地判平成16年9月22日判決は、原状回復の範囲を明確化し、借主保護の方向性を確立した画期的な判例です。通常損耗や経年変化を借主負担としない原則は、その後の国交省ガイドラインにも引き継がれ、今日の敷金精算実務の基礎となっています。
用語紹介
- 原状回復
- 賃貸物件を入居時の状態に戻す義務。ただし、通常損耗・経年劣化は含まれない。
- 通常損耗
- 通常の使用により不可避的に発生する汚れや摩耗。借主負担にはならない。
- 経年劣化
- 時間の経過によって自然に生じる建物・設備の劣化。貸主の負担とされる。
- 敷金
- 賃貸借契約において借主が貸主に預ける担保金。退去時の未払賃料や修繕費を差し引き、残額が返還される。