
はじめに
これまで第1回〜第3回では、建替えや有効活用、自己使用といった賃貸人側事情を中心に整理してきました。
しかし、更新拒絶の可否は、貸主側の事情だけで決まるものではありません。裁判では必ず、賃借人がその建物をどの程度必要としているのかが比較されます。
本記事では、国土交通省の委託により作成された「借地借家法の更新拒絶等要件に関する調査研究報告書」を参照し、令和元年5月から令和6年3月までの裁判例分析をもとに、使用期間や代替可能性といった賃借人側事情がどのように評価されているのかを整理します。
「借主が弱いから勝てない」「事業用なら簡単に明け渡してもらえる」といった誤解を解き、実務での判断軸を明確にすることが目的です。
賃借人側事情はどのように位置づけられるのか
借地借家法28条では、正当事由の判断にあたり、貸主・借主双方の「建物使用の必要性」を比較衡量するとされています。
賃借人側事情とは、簡単に言えば、その建物を使い続ける必要性がどれほど強いかという点です。
裁判所は、賃貸人側事情がどれほど強く見えても、賃借人側事情がそれを上回ると判断すれば、更新拒絶を否定します。逆に、賃借人側事情が相対的に弱ければ、立退料などを条件に明渡しが認められる余地が広がります。
使用期間が判断に与える影響
賃借人側事情の中で、特に分かりやすい指標が使用期間です。長期間にわたって使用している場合、その建物が生活や事業の基盤になっていると評価されやすくなります。
長期使用は借主に有利に働きやすい
裁判例では、数十年にわたって居住しているケースや、長年同じ場所で営業を続けているケースでは、賃借人側事情が強く評価される傾向があります。
特に、居住用物件で高齢の借主が長期間住み続けている場合には、住み替えの困難性が重く見られることがあります。
使用期間だけで決まるわけではない
もっとも、使用期間が長ければ必ず更新拒絶が否定されるわけではありません。建替えの必要性が非常に高い場合や、立退料によって不利益が十分に緩和される場合には、明渡しが認められる例もあります。
代替可能性という視点
もう一つ重要なのが、代替可能性です。これは、現在の建物の代わりとなる物件が見つかりやすいかどうか、という観点です。
代替が容易な場合
周辺に同種・同規模の物件が多数存在し、比較的容易に移転できる場合、賃借人側事情は相対的に弱く評価される傾向があります。
事業用物件では、設備や立地に特殊性がなければ、金銭補償による調整が可能と判断されやすい側面があります。
代替が困難な場合
一方で、代替物件がほとんどない、あるいは移転によって生活や事業に重大な支障が生じる場合には、賃借人側事情は強く評価されます。
居住用では、高齢、障害、家族構成などの事情が、代替可能性の判断に影響することがあります。
居住用と事業用での違い
賃借人側事情の評価は、居住用か事業用かによっても傾向が異なります。
居住用物件の場合
居住用では、生活の本拠であることが重視され、賃借人保護が厚く働く傾向があります。特に、高齢者や長期居住者の場合、住み替えの負担が重く評価されます。
事業用物件の場合
事業用では、金銭補償による調整が可能と判断されやすく、居住用に比べると更新拒絶が認められる余地が広がります。
ただし、立地や営業上の特殊性が強い場合には、事業用であっても賃借人側事情が重く評価されることがあります。
賃借人側事情を踏まえた実務対応
ポイント1:借主の事情を早い段階で整理する
更新拒絶を検討する際は、借主の使用期間や家族構成、事業内容などを事前に把握しておくことが重要です。
ポイント2:代替可能性を具体的に検討する
周辺の物件状況や、移転に伴う不利益を整理することで、交渉や裁判での見通しが立てやすくなります。
ポイント3:立退料との関係を意識する
賃借人側事情が強い場合でも、立退料によって不利益を緩和できれば、明渡しが認められる余地があります。次回は、この立退料の考え方を詳しく取り上げます。
まとめ
更新拒絶の判断では、賃貸人側事情と賃借人側事情が常に比較されます。
使用期間や代替可能性は、賃借人側事情の中核であり、更新拒絶の成否を大きく左右します。
貸主側の主張を組み立てる際には、借主の立場や不利益を具体的に想定し、どこまで調整できるのかを検討することが不可欠です。
次回(第5回)では、これまでの事情を調整する手段として用いられる「立退料」の考え方と実務上の注意点を解説します。
用語紹介
- 賃借人側事情
- 借主が当該建物を使い続ける必要性の程度を示す事情を指します。
- 使用期間
- 賃借人が当該建物を継続して使用してきた期間を指します。
- 代替可能性
- 現在の建物の代わりとなる物件を確保できるかどうかという判断の視点です。