
はじめに
賃貸借契約の更新拒絶を検討する場面で、最も多く持ち出される理由が「建替えの必要性」です。老朽化が進んでいる、耐震性に不安がある、将来を見据えて建替えたい。こうした事情は、オーナーや管理会社にとって自然な判断と言えます。
もっとも、裁判になった場合、「建替えたい」という意思だけで更新拒絶が認められるわけではありません。建替えの必要性が、借地借家法上の正当事由としてどのように評価されるのかが問われます。
本記事では、国土交通省の委託により作成された「借地借家法の更新拒絶等要件に関する調査研究報告書」を参照し、令和元年5月から令和6年3月までの裁判例分析をもとに、建替え理由がどのように判断されているのかを、賃貸オーナー・管理会社向けに整理します。
第1回で確認した正当事由の基本構造を前提に、今回は賃貸人側事情の中核である「建替えの必要性」に焦点を当て、実務での備え方まで踏み込みます。
建替えの必要性はどのように位置づけられるのか
調査研究報告書によれば、令和期の裁判例では、賃貸人側事情として「建替え」や「取壊し」を理由に更新拒絶が争われるケースが多数を占めています。実務感覚としても、建替えは最も主張しやすい理由の一つです。
ただし重要なのは、裁判所が建替えを独立した魔法のカードとして扱っているわけではない点です。建替えの必要性は、あくまで「賃貸人が建物を使用する必要性」を基礎づける一事情として評価されます。
つまり、建替えの話は常に次の問いとセットで見られます。
- なぜ今、建替えが必要なのか
- 他の方法(修繕・補強)では足りないのか
- 建替え後、どう使うのか
この問いにどこまで具体的に答えられるかが、正当事由の強さを左右します。
老朽化と建替え理由の評価
建替え理由としてまず挙げられるのが、建物の老朽化です。築年数が古く、設備も傷んでいる。この点は多くのオーナーが実感しているところでしょう。
しかし裁判例を見ると、「古い=建替えが必要」と短絡的に判断されているわけではありません。老朽化の程度や、現在の使用状況が丁寧に見られています。
築年数だけでは足りない
築40年、50年といった年数は一つの目安にはなりますが、それだけで建替えの必要性が肯定されることは多くありません。実際には、次のような点が重ねて検討されます。
- これまでの修繕履歴
- 現在も通常使用が可能か
- 重大な不具合や危険が生じているか
修繕を重ねながら問題なく使われている建物については、老朽化を理由とする更新拒絶が弱く評価される傾向があります。
耐震性能と正当事由の関係
近年の裁判例で特徴的なのが、耐震性能への言及が明確に増えている点です。調査研究報告書でも、平成期の裁判例と比べ、令和期では耐震性が重要な考慮要素として扱われるようになったと整理されています。
特に、旧耐震基準で建てられた建物については、倒壊の危険や周辺への影響まで踏み込んで判断される例が見られます。
耐震不足は強い事情になり得る
耐震診断の結果、基準を大きく下回る場合には、建替えの必要性が強く評価される傾向があります。オーナー側の安全配慮義務の観点からも、無視できない事情です。
それでも「自動的にOK」ではない
注意すべきなのは、耐震性能の不足があっても、それだけで必ず正当事由が認められるわけではない点です。裁判例では、耐震補強工事で対応可能と判断された場合や、建替え後の具体的計画が示されていない場合に、更新拒絶が否定されたケースもあります。
耐震性は強力な材料になりますが、単独で完結する理由ではないという認識が重要です。
建替え計画の具体性が判断を分ける
建替え理由の評価で、実務上とくに差が出やすいのが「計画の具体性」です。
裁判所は、単なる構想レベルではなく、次のような点を見ています。
- 建替え時期の目安があるか
- 建替え後の用途が想定されているか
- 資金計画や実現可能性があるか
計画が抽象的なままだと、「本当に今、明け渡す必要があるのか」という疑問が残ります。逆に、一定の準備が整っている場合には、建替えの必要性が現実的なものとして評価されやすくなります。
また、近時の裁判例では、建替えの必要性を判断する際に経済的合理性の観点が重視される傾向も見られます。
具体的には、老朽化や耐震不足がある場合でも、
- 修繕や耐震補強にどの程度の費用がかかるのか
- その費用に見合う効果がどれほど期待できるのか
- 建替えを行うことで、安全性や収益性がどの程度改善されるのか
といった点を比較し、建替えの方が合理的であると説明できるかが問われています。
単に「古い」「危ない」だけでなく、「修繕では非効率で、建替えが合理的である」という整理ができているかどうかは、正当事由の説得力を大きく左右します。
建替えを理由に更新拒絶する際の実務ポイント
ここからは、管理実務で意識しておきたいポイントを整理します。
ポイント1:建替え理由を一文で説明できるか
「老朽化しているから」では足りません。耐震、安全性、維持管理、将来計画を含め、なぜ今なのかを一文で説明できるように整理しておくことが重要です。
ポイント2:修繕・補強との比較を用意する
建替えと修繕・耐震補強を比較し、なぜ建替えが合理的なのかを説明できる資料は有効です。費用対効果の整理は、裁判例でも重視されています。
ポイント3:借主への説明を早めに行う
更新直前になって突然通知すると、感情的対立が強まります。建替えの方向性が固まった段階で、段階的に説明することが、交渉を円滑に進める助けになります。
まとめ
建替えの必要性は、更新拒絶において最も多く主張される理由であり、正当事由を支える重要な要素です。
一方で、老朽化や耐震不足があるからといって、それだけで更新拒絶が認められるわけではありません。修繕との比較、耐震補強の可能性、建替え計画の具体性など、複数の事情が総合的に評価されます。
建替えを理由に更新拒絶を検討する場合は、「なぜ今なのか」「修繕や補強では足りないのか」「建替えの方が合理的と言えるのか」を説明できる準備が不可欠です。
次回(第3回)では、建替え以外の賃貸人側事情として、「有効活用」や「自己使用」がどのように評価されるのかを取り上げます。
用語紹介
- 建替えの必要性
- 建物の老朽化や安全性、将来計画などを理由に、現存建物を取り壊して新たに建築する必要があるという事情です。
- 耐震性能
- 地震に対して建物がどの程度安全性を保てるかを示す性能を指します。
- 正当事由
- 更新拒絶や解約申入れを有効とするために、貸主・借主双方の事情を総合して判断される理由を指します。