
はじめに
賃貸管理の現場では、「契約書どおりだから問題ない」「こちらが正しい」と考えて対応を進めてしまう場面があります。しかし、法律の世界では、『正論を振りかざすだけでは認められない』ケースも少なくありません。その代表例が「権利濫用の法理」です。本記事では、実務担当者が判断を誤りやすい権利濫用の考え方を整理し、どこでブレーキを踏むべきかを解説します。
権利濫用の法理とは何か
権利濫用の法理とは、形式的には正当な権利であっても、その行使が社会通念上不相当であれば認められないとする考え方です。
重要なのは、「権利があるかどうか」だけではなく、その権利をどのように、どのタイミングで使ったのかまでが判断対象になる点です。権利の存在そのものよりも、行使の態様が問題にされます。
根拠法と信義則との関係
権利濫用の法理は、民法第1条第3項において、「権利の濫用は、これを許さない」と明文で規定されています。これは非常に重要なポイントです。
また、この規定は、同条第2項に定められた信義誠実の原則(信義則)と表裏一体の関係にあります。信義則が「誠実に行動すべき」という大原則であるのに対し、権利濫用の禁止は、「誠実さを欠いた権利行使には具体的にストップをかけるルール」と整理できます。
つまり、権利濫用の問題は、単なる契約解釈ではなく、法律の根本原理レベルの話だという点を押さえておく必要があります。
なぜ賃貸管理で問題になるのか
賃貸借契約では、貸主側に解約権や是正要求権など、比較的強い権利が与えられています。しかし、その強さゆえに、一歩間違えると「やりすぎ」と評価されやすい分野でもあります。
特に、立ち退き交渉、契約解除、修繕拒否、滞納対応といった場面では、貸主側の対応が厳しすぎると、裁判所は権利濫用の有無を厳しくチェックします。
実務で問題になる典型例
権利濫用と判断されやすい典型例には、次のようなものがあります。
- わずかな生活音を理由に、高齢の入居者を真冬に即時退去させようとする
- 家賃が1円不足していることだけを理由に、契約解除を断行しようとする
- 修繕要求を繰り返した入居者に対し、報復的に更新拒絶を行う
特に注意が必要なのが、家賃滞納を理由とした「鍵の交換」や「ライフライン(電気・ガス・水)の遮断」です。一見すると貸主の権利行使に見えますが、判例ではその多くが権利濫用、さらには自力救済の禁止に反するとされ、逆に損害賠償や慰謝料の支払いを命じられるケースも少なくありません。
判断の分かれ目になるポイント
裁判所が権利濫用かどうかを判断する際、重視するのが利益の比較(較量)です。
- 貸主がその権利を行使して得られる利益の大きさ
- 借主がその権利行使によって受ける不利益の深刻さ
たとえば、1円の家賃不足を理由に契約解除して得られる貸主の利益と、住まいを失う借主の不利益を比べた場合、その天秤は「濫用」の方向に大きく傾きやすくなります。このバランス感覚が、実務判断の重要な物差しになります。
実務での対応と注意点
権利濫用と評価されないためには、段階的かつ冷静な対応が不可欠です。
- いきなり最も重い措置(解除・立ち退き)を取らない
- 是正要請や改善の機会を与え、その経過を記録に残す
- 法的手続きを踏まずに強引に解決しようとしない
「権利はある。しかし、今この使い方でよいのか」という視点を持つことが、実務担当者にとって最大の防御策になります。
まとめ
権利濫用の法理は、「正しいはずの対応」が否定される可能性を示す重要なルールです。民法第1条第3項に明記されている以上、軽視はできません。賃貸管理の現場では、権利の有無だけでなく、その行使方法が第三者から見て妥当かどうかを常に意識することが、トラブルを未然に防ぐ鍵になります。
用語紹介
- 権利濫用の法理
- 正当な権利であっても、その行使が社会通念上不相当な場合には認められないとする考え方です。
- 信義誠実の原則
- 権利の行使や義務の履行は、相互の信頼関係に基づき誠実に行うべきとする民法上の基本原則です。
- 自力救済
- 裁判などの法的手続きを経ずに、当事者が実力で権利を実現しようとする行為を指します。