
本件は、賃料滞納を理由として、賃貸人が賃借人不在中に居室への立入りを不能とし、さらに家財道具一式を撤去・処分した行為について、その適法性が争われた事案です。裁判所は、賃貸人による一連の行為はいずれも許されない自力救済に該当し、不法行為責任を負うとして、賃借人に対する損害賠償を命じました。
事案の概要
賃借人らは、賃貸人が所有する建物の一室について定期建物賃貸借契約を締結し居住していましたが、一定期間にわたり賃料等を滞納していました。
これを理由に、賃貸人は、賃借人不在中にロックを物理的に遮断する措置を講じ、入室を不能としました。その後、契約解除・明渡合意書への署名押印を迫り、署名に応じた場合のみ入室を認める対応を取りました。
さらに賃貸人は、居室内の家財道具一式を撤去・処分し、写真や手紙などの私的・感情的価値の高い物品も失われました。これにより、賃借人らは居住の場を奪われ、精神的・財産的損害を被ったとして損害賠償を請求しました。
判決の要旨
- ロックの物理的遮断行為:賃貸人が裁判手続きを経ずに賃借人の占有を排除する行為は、許されない自力救済に該当する。
- 家財道具の撤去・処分:賃借人の同意なく動産を処分する行為は、占有権および所有権を侵害する不法行為である。
- 合意書の効力:入室を妨害し心理的に追い込んだ状態で署名させた合意は、公序良俗に反し無効と判断される可能性が極めて高い。
- 損害額:家財の時価に加え、写真・手紙等の代替不可能な品を失わせた精神的苦痛を重く評価し、高額な慰謝料を含む約176万円の損害を認定。
- 賃料請求の可否:賃貸人が使用収益義務を履行していない期間については、賃料請求は認められない。
位置づけと実務上のポイント
1. なぜ自力救済は厳しく禁止されるのか
自力救済が禁止されるのは、法治国家において紛争解決は裁判所を通じて行うべきであり、実力行使を認めると社会秩序が著しく損なわれるためです。賃料滞納という正当な理由があっても、手続きを飛ばすことは一切認められません。
2. 慰謝料リスクの重さ
本件では、家財の経済的価値だけでなく、思い出の品を失わせた精神的苦痛が高く評価されました。実務上、ここがオーナーにとって最も見落とされがちな高額リスクです。
3. 「後から合意書」は通用しない
違法な自力救済によって追い込まれた状況下での合意は、後から署名があっても違法性を覆しません。脱法的な手法は裁判で厳しく否定されます。
4. 相殺できない可能性への注意
不法行為に基づく損害賠償債務は、性質上、滞納賃料との相殺が制限される場合があります(民法509条)。「相殺すればゼロになる」という発想は非常に危険です。
5. 実務対応の指針
- 鍵交換・入室制限・家財撤去は絶対に行わない
- 解除通知・明渡訴訟など法的手続きを厳守
- 管理会社・オーナー間で自力救済禁止の共通認識を徹底
まとめ
東京地判平成30年3月22日判決は、賃貸人による自力救済行為を明確に違法とし、高額な損害賠償責任を認めた事例です。賃料滞納があっても、実力行使は一切許されず、金銭的にも極めて大きなリスクを伴うことを示した、強い警告性を持つ判例といえます。
用語紹介
- 自力救済
- 裁判等の法的手続きを経ず、実力行使によって権利を実現しようとする行為。原則として禁止される。
- 占有権
- 物を事実上支配している状態を保護する権利。自分の所有物でなくても、「今使っている」状態自体が法的に守られる。
- 不法行為
- 故意または過失により他人の権利や利益を侵害する行為で、損害賠償責任が生じる。
- 使用収益義務
- 賃貸人が賃借人に対し、目的物を使用・収益させる義務。