
本件は、賃貸住宅の一室において居住者が死亡し、同室内に知人の遺体も発見されたことから、いわゆる「心理的瑕疵」が生じたとして、賃貸人が賃借人に対し損害賠償を求めた事案です。裁判所は、死亡事案が発生したという結果のみから賃借人の責任を肯定することはできないとして、賃貸人の請求を棄却しました。
事案の概要
賃貸人は、法人である賃借人との間で、共同住宅の一室について賃貸借契約を締結しました。賃借人は、当該室を従業員の居住用として使用していました。
その後、当該室内で居住者が死亡している状態で発見され、さらに同室内には知人とみられる人物の遺体も存在していました。状況からは、心中や嘱託殺人の可能性といった不穏な事情も疑われました。
賃貸人は、この出来事により建物に重大な心理的瑕疵が生じ、長期間にわたり賃貸が困難になったとして、賃借人が賃貸借契約上の善管注意義務に違反したと主張し、将来の賃料減額相当額などの損害賠償を求めて提訴しました。
判決の要旨
- 死亡原因と帰責事由:居住者の死亡について、心中や嘱託殺人であることを認めるに足りる証拠はなく、賃借人の責めに帰すべき事由(帰責事由)があるとはいえない。
- 履行補助者性の否定:同室内で死亡していた知人について、合鍵の所持などの事情はあるものの、家族や同居者と同視できるほどの生活実態は認められず、賃借人の履行補助者には当たらない。
- 善管注意義務違反の成否:賃借人やその履行補助者が、契約に反し、公序良俗に反する行為を行ったと評価することはできず、善管注意義務違反は成立しない。
- 損害賠償請求の可否:賃借人に債務不履行が認められない以上、心理的瑕疵の発生を理由とする損害賠償請求は認められない。
位置づけと実務上のポイント
1. 「事故が起きた=賃借人の責任」ではない
本判決の重要な点は、室内で死亡事案が発生したという結果のみから、賃借人の管理不足や責任を直ちに肯定しなかった点にあります。自然死か、不自然な死かという区別以上に、「賃借人の帰責事由があるか」が判断の核心とされています。
2. 履行補助者の範囲は「生活実態」で判断
単なる友人の出入りや合鍵の所持だけでは、賃借人の身代わりとして部屋を管理する立場、すなわち履行補助者とは評価されません。実質的な同居や生活の一体性があるかが重要であり、これは転貸(又貸し)との区別を考える上でも参考になります。
3. 善管注意義務の限界
賃借人は善良な管理者としての注意義務を負いますが、第三者による突発的・犯罪的行為まで防止する義務を負うものではありません。賃借人は警備会社ではない、という点を本判決は明確に示しています。
4. 損害額主張が通らなかった理由
本件では、将来10年分の賃料減額相当額という大きな損害が主張されましたが、「損害が生じたこと」と「相手方に責任があること」は別問題です。前提となる債務不履行が否定された以上、損害論に進む余地はありませんでした。
5. 告知ガイドラインとの関係
その後、2021年に国土交通省が「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」を策定し、自然死については原則として告知不要と整理されています。本判決は、そのガイドライン以前の事案ながら、「誰が責任を負うのか」という根本的な問題を考える上で、現在でも重要な前提知識となります。
まとめ
山口地判平成29年11月28日判決は、心理的瑕疵が生じた場合であっても、賃借人に帰責事由がなければ損害賠償責任は負わないことを明確にしました。感情的になりがちな「事故物件」問題を、善管注意義務と履行補助者という法的枠組みで冷静に整理した点に、本判決の実務的意義があります。
用語紹介
- 心理的瑕疵
- 物理的な欠陥はないものの、過去の出来事などにより心理的な抵抗感を生じさせる事情。いわゆる「事故物件」として扱われる原因となる事態。
- 善管注意義務
- 契約当事者が、善良な管理者として通常期待される注意をもって行動すべき義務。
- 履行補助者
- 債務者が債務を履行するにあたり使用する者で、その行為について債務者が責任を負う場合がある。
- 帰責事由
- ある結果について、法的に責任を帰すべき原因や事情。