
本件は、東京都が指定する特定緊急輸送道路沿道建築物に該当する建物について、耐震性不足を理由とする建替えの必要性を背景に、賃貸借契約の更新拒絶および建物明渡しが求められた事案です。裁判所は、行政上の耐震化要請という高い公共性を認めつつも、それだけで賃借人の権利を一方的に排除することはできないとし、立退料の支払いによって正当事由が補完されるとして明渡請求を認めました。
事案の概要
本件建物は、東京都が指定する特定緊急輸送道路沿道建築物に該当し、耐震診断の結果、大規模地震時に倒壊・崩壊する危険性が高いと評価されていました。特定緊急輸送道路は、災害時に緊急車両や救援物資の輸送を担う重要路線であり、沿道建築物の耐震化には強い公共的要請があります。
賃貸人は、建物所有者らと協議の上、建物の取壊しおよび建替えを前提とした共同事業を計画し、賃貸借契約期間満了時に更新を行わず、賃借人に対して建物の明渡しを求めました。
これに対し賃借人は、長年居住してきた生活基盤を失うことになるとして更新拒絶に応じず、正当事由がないと主張しました。賃貸人は、予備的に立退料を支払うことで正当事由が補完されると主張し、裁判で争われました。
判決の要旨
- 建替えの必要性:本件建物は耐震診断により、震度6強〜7程度の地震で倒壊等の危険性が高いと評価されており、建替えの必要性自体は高いと認められる。
- 正当事由の判断枠組み:正当事由の判断においては、賃貸人側の建替え必要性と、賃借人側の居住・使用継続の必要性を比較衡量すべきであり、一方の事情のみを過度に重視することはできない。
- 賃借人側の事情:賃借人の居住期間は約3年程度と比較的短く、周辺には同程度の条件の代替物件も存在することから、使用継続の必要性は必ずしも高くない。
- 公共性の評価:建物が倒壊した場合、特定緊急輸送道路を閉塞し、公共に著しい支障を及ぼすおそれがあり、耐震化要請という公共性は正当事由を基礎づける強い要素である。
- 立退料による補完:以上を総合すると、更新拒絶については立退料の支払いによって正当事由が補完されると判断。
- 立退料額:賃料水準や転居費用等を考慮し、賃料約10か月分に相当する53万円を相当と認定。
位置づけと実務上のポイント
1. 公共性は「強力な加点要素」だが万能ではない
本判決は、行政上の耐震化義務という極めて公共性の高い事情を正当事由判断の強力なプラス要素として評価しました。しかし同時に、それだけで賃借人の権利を完全に消滅させるほどの特権的事情とは位置づけていません。立退料ゼロでの明渡しは認められないという点が重要です。
2. なぜ立退料は「53万円」で足りたのか
一般に建物明渡しの立退料は高額になることもありますが、本件では比較的低廉(実務感覚では)な水準にとどまりました。その背景には、以下の事情があります。
- 賃借人の居住期間が比較的短かったこと
- 周辺に同条件の代替物件が複数存在したこと
- 建物倒壊時に公共へ及ぼす危険性が高かったこと
これら「賃借人側の固執理由の弱さ」と「公共的危険性の高さ」の組み合わせが、立退料を約10か月分に抑える判断につながったといえます。
3. 「義務付け」と「退去させる権利」は別問題
特定緊急輸送道路沿道建築物については、耐震診断や報告が条例上義務とされています。しかし、耐震化義務があることと、賃借人を無条件に退去させられることは別問題です。オーナー側が誤解しやすい点として、実務上特に注意が必要です。
まとめ
東京地判令和3年12月15日判決は、特定緊急輸送道路沿道建築物という高い公共性を背景としつつも、賃借人保護との調整を図り、立退料の支払いによって正当事由を補完するという現実的な解決を示しました。行政の要請があっても、丁寧な立退交渉と補償は不可避であることを明確にした点で、耐震化・建替え実務に重要な示唆を与える判例です。
用語紹介
- 特定緊急輸送道路沿道建築物
- 大規模災害時の緊急輸送を確保するため、耐震化が強く求められる道路沿道の建築物。
- 正当事由
- 建物賃貸借契約の更新拒絶や解約を正当化する理由。本件のような耐震性不足は、正当事由の主たる要素となり得るが、単独では足りない場合もある。
- 立退料
- 賃借人の転居に伴う不利益を補填し、正当事由を補完するために支払われる金銭。
- 更新拒絶
- 賃貸借契約期間満了時に、賃貸人が契約更新を行わない意思表示。