
はじめに
原状回復トラブルを防ぐうえで、契約書や特約の整備は欠かせません。ただし実務では、契約内容を説明していても話がこじれたり、「その傷は最初からあった」と言われたりして、判断が感覚論になってしまう場面があります。
こうしたケースでは、契約内容そのものよりも「記録の有無」が決定的な差になります。
本記事では、賃貸オーナー・管理会社が現場で実践すべき入居時・退去時のチェックと記録を、初心者にも分かるように具体的に整理します。スマホでできる記録のコツや、クラウドでの管理方法もあわせて解説します。
トラブルの多くは「入居時」で決まる
退去時のトラブルというと、退去立会いや請求金額に目が向きがちです。しかし実務では、次のような状態が原因で揉めるケースが少なくありません。
- 退去時に初めて細かく状態を確認している
- 入居時の状態が曖昧なままになっている
- 「元からあったかどうか」を説明できない
この状況では、たとえ請求が妥当でも、説明が難しくなり、借主の防衛反応を招きやすくなります。だからこそ、原状回復トラブルを防ぐ最大のポイントは入居時のチェックと記録です。
入居時チェックの目的
入居時チェックというと、「細かくやると借主に警戒されるのでは」と心配になるかもしれません。しかし、入居時チェックの目的は借主を疑うことではありません。
入居時チェックの本質は、次の3点です。
- 入居時点の状態を、貸主・借主双方で共有する
- どこまでが「元からあった状態」かを明確にする
- 将来のトラブルを未然に防ぐ
つまり、入居時チェックは双方を守るための作業です。この姿勢を丁寧に説明すれば、借主から理解を得られるケースがほとんどです。
入居時に確認・記録すべき箇所
入居時チェックでは、後から争点になりやすい箇所を重点的に押さえます。代表的には次のとおりです。
代表的なチェックポイント
- 壁・天井:クロスの汚れ、傷、日焼け、画鋲・ピン穴の有無
- 床:傷、へこみ、浮き、畳の擦れや変色
- 水回り:カビ、水垢、ひび割れ、排水の臭い
- 建具・設備:ドアや収納の開閉、エアコン・給湯器などの動作
重要なのは、完璧に見ることではなく、後で説明できる形で残すことです。
写真・動画で残すコツ
入居時記録で最も有効なのが、スマホを使った写真・動画の記録です。今は記録のハードルが下がっているので、できるだけ「残す」側に寄せる運用が安全です。
写真は「点」、動画は「線」
- 写真:傷や汚れをピンポイントで記録できます。
- 動画:玄関から各室へ歩きながら撮ることで、部屋全体の状態を一気に残せます。
動画を併用すると、写真の撮り忘れをカバーできるだけでなく、床のきしみや設備の動作音など、写真では残しにくい情報も記録できます。
撮影の実務ポイント
- 部屋全体が分かる「引き」と、傷や汚れの「寄り」をセットで撮る
- 同じ箇所を角度違いで撮り、場所が分かる状態にする
- 水回りや設備は、状態だけでなく動作も残す(通水、点火、運転音など)
- 撮影したデータは、後から探せるように整理して保存する
「日付」をどう証明するか(今風の実務)
以前は「新聞と一緒に撮る」方法もありましたが、今は次の方法が現実的です。
- スマホの撮影データ(Exif情報)で日付を確認できる状態にする
- 日付入りカメラアプリを使用する
- 念のため、カレンダーや時計が写り込むように撮影する
ポイントは、後から第三者に見せても撮影時期を説明できる状態にしておくことです。
記録はクラウドで物件ごとに管理する
記録を残していても、「PCのどこかに保存してある」状態では実務で活かしきれません。おすすめは、物件ごと・部屋番号ごとにフォルダを分け、クラウド上で管理する方法です。
クラウド管理にすると、次のメリットがあります。
- 担当者が変わっても記録を引き継げる
- 退去時にすぐ参照でき、説明のスピードが上がる
- 写真・動画・チェックシートを同じ場所にまとめられる
現場では「保存してあること」よりも、「すぐ出せること」が重要です。物件単位で整理しておくと、退去時の対応が格段に楽になります。
退去時チェックの基本姿勢
退去時チェックで意識すべき基本は入居時記録との比較です。
- 新しく発生した損耗か
- 入居時からあったものか
- 通常使用の範囲か
これらを、記録に基づいて整理します。退去立会いの場で結論を急ぐ必要はありません。
「入居時の記録を確認したうえで、後日、正式にご説明します」と伝えるだけで、無用な衝突を避けやすくなります。
退去立会いでやってはいけないNG対応
退去立会いは、判断や交渉の場ではなく事実確認の場と割り切るほうが、結果的に話がまとまりやすくなります。現場でありがちなNG対応は次のとおりです。
- 感情的に傷や汚れを指摘する
- その場で修繕費用の金額を即答する
- 根拠を示さず「これは借主負担です」と断言する
特に「金額の即答」は要注意です。多額の請求になりそうな場合、その場で金額を伝えてしまうと、借主が防衛本能から一気に頑なになることがあります。
まずは事実を確認し、根拠(入居時記録、通常損耗の考え方、経過年数など)を整理したうえで、後日あらためて説明するほうが、納得感のある着地につながります。
まとめ
原状回復トラブルを防ぐためには、考え方(第1回)と契約(第2回)に加えて、入居時・退去時の記録をセットで運用することが重要です。
- 入居時に状態を共有し、写真・動画で残す
- 日付を説明できる形で保存する(Exifや日付入りアプリの活用)
- クラウドで物件ごとに整理し、退去時にすぐ出せる状態にする
- 退去立会いは事実確認に徹し、金額の即答を避ける
入居時チェックは地味で手間のかかる作業に見えるかもしれません。しかし、この一手間があるかどうかで、退去時の負担とストレスは大きく変わります。
次回は、原状回復費用の算定と精算の考え方を取り上げます。経過年数や減価償却を含め、請求根拠を分かりやすく示すための実務を整理します。
用語紹介
- 入居時チェック
- 入居開始時点の室内状態を確認し、貸主・借主双方で共有する手続きです。
- Exif情報
- スマホ等で撮影した写真・動画に記録される撮影日時などのメタデータを指します。
- 退去立会い
- 退去時に室内状態を確認し、事実関係を整理するための確認手続きです。