
はじめに
原状回復をめぐるトラブルで、最終的に争点になりやすいのが費用の金額です。金額だけが先に出ると、「なぜこの額なのか」「どこまでが借主負担なのか」が見えず、借主の不信感を招きやすくなります。
本記事では、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」の考え方を前提に、原状回復費用をどう考え、どう算定し、どう精算するかを初心者向けに整理します。ポイントは「いくら請求できるか」よりも「なぜその金額になるのかを説明できるか」です。
参考:国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」は公式ページで確認できます。国土交通省 公式ページ
原状回復費用は「実費=請求額」ではない
まず、実務で最も重要な前提を確認します。修繕に実際にかかった費用が、そのまま借主に請求できる金額になるわけではありません。
原状回復費用の算定では、次の視点を必ず通します。
- その損耗は借主負担に該当するのか
- 通常損耗や経年劣化が含まれていないか
- 借主が負担すべき「残存価値」の範囲はどこか
この整理を飛ばして「業者見積=請求額」としてしまうと、説明が難しくなり、トラブルに発展しやすくなります。
費用算定の基本構造を3ステップで整理する
原状回復費用は、次の3ステップで考えると整理しやすくなります。算定の順番を守るだけで、説明が格段にしやすくなります。
ステップ① 借主負担に該当する損耗かを判断する
まず、その損耗が故意・過失によるものか、あるいは通常使用を超えるものかを判断します。通常損耗や経年劣化に該当する部分は、この時点で請求対象から除外します。
ステップ② 原状回復の範囲を確定する
次に「どこまで直す必要があるか」を整理します。損耗が一部に限定される場合、原則は損耗が発生した箇所を含む最小限の範囲で原状回復する考え方です。部屋全体を新品にする必要があるとは限りません。
ステップ③ 経過年数を考慮して金額を調整する
最後に、経過年数(減価償却)を考慮して借主負担額を調整します。ここを省略すると「全額請求された」という不満につながりやすくなります。
経過年数・減価償却の基本的な考え方
原状回復費用の算定で、最も理解されにくく、かつ重要なのが経過年数の考え方です。内装や設備は時間の経過とともに価値が減少します。
そのため、修繕が必要になったとしても、入居時と同じ価値、新品と同じ価値を前提に修繕費用を全額請求することはできません。ガイドラインでは、借主は「残存価値」に対して責任を負う、という考え方が示されています。
難しく感じる場合は、「借主が負担するのは、今残っている価値の分だけ」と捉えると理解しやすくなります。
クロスの算定イメージと「単位」問題
初心者にとって理解しやすいのが、クロス(壁紙)を例にした算定です。ここで注意したいのが、実務で揉めやすい算定の単位です。
クロス算定で先に決めたい「単位」
クロスの見積・請求は、現場では主に次のどちらかで整理されます。
- ㎡単位(平米単価で算定する)
- 1面単位(汚損した箇所を含む1面を基準にする)
借主との説明では、「どの単位で、どの範囲を原状回復するのか」を最初に明確にすると、納得感が上がりやすくなります。
算定イメージ(例)
例えば、次の条件を想定します。
- 耐用年数:6年(ガイドラインの目安)
- 入居期間:3年
- 借主の過失でクロスを汚損
- 汚損箇所を含む1面分の張り替え費用:6万円
この場合でも、6万円全額をそのまま請求できるわけではありません。経過年数を考慮し、残っている価値分のみを按分して借主負担額を調整します。重要なのは「全額かどうか」ではなく、算定の筋道が説明できるかです。
残存価値1円の正しい理解と例外
実務で特に誤解されやすいのが、「残存価値1円」という表現です。
よくある誤解
- 残存価値1円=壊しても請求できない
- 残存価値1円=借主は責任を負わない
正しい理解
- 残存価値がほぼゼロでも、故意・過失があれば修繕は必要になる
- ただし、新品交換費用を全額請求できるわけではない
原状回復は罰や制裁ではなく、回復のための費用として整理する必要があります。
※注意:経過年数が考慮されない費用もある
すべての費用が「年数で安くなる」わけではありません。次のような費用は、時間の経過で価値が減る性質のものではないため、原則として経過年数による減額は行いません。
- ハウスクリーニング費用
- 鍵の紛失による交換費用
- 善管注意義務違反による損害(放置で被害を拡大させた場合など)
「何でも年数で減る」という誤解は、精算時の混乱を招きます。減価償却が関係するのは、あくまで内装・設備などの価値が時間で減る対象が中心です。
設備(エアコン・給湯器など)の算定ポイント
設備についても基本構造は同じです。耐用年数を想定し、経過年数を考慮し、残存価値分のみを借主負担として整理します。
例えば、入居時点で既に使用年数が長い設備や、耐用年数を超えている設備の場合、借主の過失で故障したとしても新品交換費用の全額請求は難しいケースが多くなります。
善管注意義務違反が問題になる場面
一方で、故意・過失だけでなく、次のようなケースは善管注意義務違反として借主負担になり得ます。
- 異音や不具合を認識していたのに放置し、被害を拡大させた
- 明らかな異常使用を続け、故障を深刻化させた
設備は「壊れた=経年劣化」と短絡しないことが重要です。発生経緯と、被害が拡大した理由を事実ベースで整理すると、説明の納得感が上がります。
精算時に必ず説明したいポイント
費用を請求する際は、金額だけを提示するのではなく、算定のプロセスを一緒に示すことが重要です。最低限、次の4点は説明できるようにしておきましょう。
- 借主負担に該当する理由(故意・過失、通常使用超過、善管注意義務違反など)
- 原状回復の範囲(どこまで直すか、単位は何か)
- 経過年数をどう考慮したか(残存価値の考え方)
- なぜ全額請求にならないのか、または例外として年数が適用されない理由
この説明があるだけで、借主の受け止め方は大きく変わります。納得される精算は、算定の正しさだけでなく、説明の順序と分かりやすさで決まります。
まとめ
原状回復費用の算定は、単なる計算作業ではありません。大切なのは「いくら請求できるか」ではなく、なぜその金額になるのかを説明できるかです。
基本は次の流れで整理します。
- 借主負担の判断(通常損耗・経年劣化を除外する)
- 原状回復の範囲を確定する(最小限の範囲、単位の明確化)
- 経過年数を考慮する(残存価値を前提に調整する)
- 例外を押さえる(クリーニング費用や鍵交換など年数が適用されない費用)
この流れを守るだけで、請求は自然と「納得されやすい形」になります。次回は、よくある原状回復トラブル事例と対策を取り上げ、どこで判断を誤りやすいのかを具体例で解説します。
用語紹介
- 減価償却
- 時間の経過により内装や設備の価値が減っていくことを前提に、負担額を調整する考え方です。
- 残存価値
- 経過年数を考慮したうえで、対象物にまだ残っている価値の部分を指します。
- 善管注意義務違反
- 借りた物を社会通念上当たり前の注意を払って扱わず、損害を発生・拡大させた状態を指します。