古河市の歴史をたどる旅へ
茨城県西部に広がる古河市は、利根川と渡良瀬川に抱かれた自然豊かな土地です。古代から人々が暮らし、政治や経済、文化の舞台となってきました。ここでは、観光で訪れる方に向けて、古河市の歴史をわかりやすくご紹介します。
古代 ― 川とともに生きた人々
古河周辺には多くの古墳が残されており、この地に古代から人々が生活していたことを物語ります。肥沃な土地を育んだ利根川と渡良瀬川は、農業の基盤であると同時に、人や物資を運ぶ「交通の大動脈」でした。
平安時代には下総国の一部として記録され、川を使った交流によって文化が広まりました。水辺のまちは、古代からすでに重要な役割を担っていたのです。
中世 ― 古河公方と城下町の誕生
古河市が歴史に大きく登場するのは室町時代です。1455年、関東の支配をめぐる戦乱の中で、室町幕府の足利成氏が鎌倉から古河へ移り、「古河公方」と呼ばれる拠点を築きました。
以後、およそ100年間、古河は関東の政治・文化の中心となり、城下町として大きく発展します。武士だけでなく、商人や職人が集まり、活気ある都市が形成されました。京都や鎌倉からの文化が伝わり、和歌や茶道などもこの地に根付きました。
出典:古河の桃まつりー8.古河公方館跡(https://zuiso.net/topic/detail/38255)
近世 ― 江戸時代の宿場町・古河宿
江戸時代になると、古河は日光街道の宿場町として重要な役割を担います。江戸から数えて4番目の宿場「古河宿」には、旅人や大名行列が絶えず往来し、にぎわいを見せました。
また、川を利用した水運によって、米や川魚、織物などが江戸へ運ばれ、古河は物流拠点として発展しました。商業が活発になり、茶屋や旅籠、問屋などが立ち並ぶ活気ある町並みが広がったといわれています。
さらに、古河藩を治めた大名たちは文化活動に力を入れ、儒学や和歌、絵画などが広まりました。歴史と文化が息づくこの時代の古河は、現在の町並みにもその名残を残しています。
近代 ― 鉄道の開通と産業の発展
明治維新後、古河は茨城県の一部となり、鉄道の開通によって新たな発展の道を歩みます。古河駅が設置されると、人や物資の移動はさらに活発化し、経済が大きく成長しました。
明治・大正期には紡績や製糸といった産業が盛んになり、地域の人々の暮らしを支えました。農業も依然として重要な基盤であり、米や野菜の生産が盛んに行われました。
昭和に入ると、戦災を経験しながらも復興を果たし、都市整備が進みました。戦後は住宅地の開発も進み、首都圏のベッドタウンとして多くの人が移り住むようになります。
現代 ― 新しい古河市の誕生と魅力
2005年、旧古河市と総和町、三和町が合併し、現在の古河市が誕生しました。人口は約14万人、茨城県西部の拠点都市として、新たなまちづくりが進められています。
現代の古河は、古い歴史を大切にしながら、現代的な都市機能を備えたまちへと発展しています。春の古河桃まつり、夏の古河花火大会、秋の菊まつりなど、四季を彩るイベントは観光客に大人気。市外からも多くの人が訪れます。
また、渡良瀬遊水地をはじめとする自然環境は、野鳥観察やサイクリング、アウトドア体験の場として高い評価を受けています。古河市を訪れる人は、歴史と自然の両方を満喫できるのです。

出典:観光いばらき 古河桃まつり【2025】(https://www.ibarakiguide.jp/special/koga_momo.html)

出典:空花火 古河花火大会(茨城県古河市)(https://sorahanabi.com/ibaraki/koga-ibaraki/koga-hanabitaikai.html)

出典:渡良瀬川と渡良瀬遊水地が見える(空撮)の無料の写真素材(https://www.pakutaso.com/20170641152post-11818.htm)
周辺地域とのつながり
古河市は茨城県西端に位置し、栃木県や埼玉県との県境にあります。そのため、観光では周辺地域との回遊がしやすいのも魅力です。
例えば、栃木県の小山城跡や、埼玉県の行田市の古代蓮の里などと組み合わせた観光コースは人気があります。古河を拠点に近隣の観光スポットを巡ることで、より豊かな旅が楽しめるでしょう。
まとめ ― 古河を旅する醍醐味
古河市は、古代から現代まで政治・文化・交通の要所として発展してきました。室町時代の古河公方、江戸の宿場町、近代の鉄道開通、そして現代のイベントや自然。さまざまな時代の息吹を感じることができます。
歴史を知ることで、古河のまち歩きは一層楽しくなります。次の旅では、古河市とその周辺をじっくり訪ね、歴史と自然が織りなす物語を体感してみませんか?